若松英輔氏のキリストの言葉の奥の“コトバ”に素直に感動した

私はNHK・Eテレで放送している「100de名著」を楽しく見ているのですが、先月の4月(2023年)に放送された批評家・随筆家の若松英輔氏による「新約聖書 福音書」の全4回の放送に、実は大変心を動かされました。何がよかったのか?それはイエス・キリストを語る若松氏の解釈というか、解説が素晴らしくよかったのです。

私はキリスト教徒ではありませんし、聖書を断片的にしか読んだことがありません。むしろ「ダ・ヴィンチ・コード」的な世界にひかれてしまう方なので、興味本位、いいかげんなわけです。なので、聖書について、語ることはできないのですが、分かりやすく構成された番組で、イエス・キリストが語ったという言葉を、さらにその奥にあるコトバを感じてみようという、若松氏が言葉をコトバとして語るその姿勢と解釈に、感動すら覚えました。

若松氏は、なんと優しい眼差しで、かつ、深く聖書を読んでいるんだろう。若松氏が語る一つ一つのコトバに、涙腺がゆるむほどの感銘を受けたのです。ちょっと大げさなのかもしれませんが、若松氏の話を聞いていると、あらためてイエス・キリストは偉大な人物であったなと思えるのでした。

そこで若松氏の言葉に触れてみたいと、氏が書いた「イエス伝」も読んでみました。読んだ印象は若松氏は、聖書学という学問的なことではなく世界中で読まれている聖書というテキストを通して、イエスという人物がどんな想いで聖書に残されたコトバを語ったのかということを読み解いているということ。

若松氏は、こんなことを書いている。『誤解を恐れずにいえば、現代においてはすでに狭義のキリスト教の精神だけでは福音書を十分に読み解くことができなくなっているのかもしれないのである。イエスの生涯を記した文字を、真に浮かび上がらせるには、キリスト教とは異なる霊性の光が不可欠なように感じられる。』(※「イエス伝」若松英輔・著/中公文庫より引用)そこには違うジャンル、宗教の話も導入して、万人に響くように書いており、より若松氏の言葉が映えてくるのです。

若松氏はイエスのエレサレム入城について、インドの非暴力主義者・ガンジーの「塩の行進」を連想すると書いています。確かにそんな感じだったのかもしれません。ガンジーはヒンズー教であり愛読書は「バガヴァッド・ギータ―」。しかし、イエスにも深く心酔していたそうです。

イエスは聖書において数々のあり得ないような奇跡も起こしているのですが、それらも魂のレベルにおいて、そうしたことが起こったというのです。それは2000年も前の、それも文字やメディアの発達という点から見ても、現代とは比べものにならないくらいの状況なので、人々の魂が癒されたとしても長い年月において神話化され、現象面での奇跡が起きたと語られても不思議ではない。それほどにイエスの行いにはインパクトがあったということなんだろう。

イエスの言葉は、魂で感じてほしいと若松氏が言っているように感じました。

でも若松氏の魅力は 、本を読むということより、氏の感性、誠実さ、優しさがにじみ出てくる話を聞くということの方が、よりひきつけられるようにも一方で思いました。

若松英輔氏が読売新聞に寄稿したエッセイ(2022年6月3日)「利他の精神で生きる」

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